Goro's blog

研究 / キャリア / 趣味 (主に自転車) について記事にしていきます

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イチローの引退会見から学ぶ哲学: 後悔しない生き方とは

2019メジャーリーグは日本で7年ぶりに開幕した。
野球にはあまり興味がないのだが,イチローが日本でプレーするということで先日のマリナーズ vs 巨人は思わずテレビ観戦してしまった。
あの日ばかりは東京ドームといえど,マリナーズを,イチローを応援するファンの熱量を感じた。


開幕戦後,「最低50歳まで現役」と意欲を見せていたイチローがついに引退した。



【全編】イチロー選手が引退会見「後悔などあろうはずがない」(2019年3月21日)


将来はプロ野球選手,と小学生の卒業文集で思い描いていた夢を実現し,数々の金字塔を打ち立てたイチロー
怪我をしないよう,ベストなプレーができるよう,ストイックに野球に向き合う姿には哲学を感じる。
そんな野球のプロフェッショナル・イチローの引退会見では,心に刺さる言葉をいくつも残してくれた。

記者からの質問への回答の中で,私が共感した部分や見習いたい姿勢を4つ書き記しておく。


今その決断に後悔だったりとか何か思い残したようなところは (4:09–)

(回答)
今日のあの球場での出来事,あんなもの見せられたら後悔なんてあろうはずがありません。もちろんもっとできたことはあると思いますけど,結果を残すために自分なりに重ねてきたこと,人よりも頑張ったということはとても言えないですけど,そんなことは全くないですけども,自分なりに頑張ってきたということはハッキリと言えるので。これを重ねてきて,重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います。

人はことあるごとに他人と比較して一喜一憂する生き物だ。
勉学であれば成績,スポーツであれば戦績,仕事であれば業績。
数字で表されるわかりやすい指標を使って,それが他人より優っていれば "頑張った",劣っていれば "頑張りが足りなかった" と判断してしまう。

イチローが伝えたかったことは,競う相手は他の誰かではなく昨日までの自分であるべき,ということだろう。
自分で認めることができるくらい結果を出すために時間と労力を費やしてきたのであれば,たとえ1番になれなかったとしても後悔はない。
するのは後悔ではなく次に活かすための反省になる。

だが,どこかで自分に甘える部分があったとしたら,悔やんでも悔やみきれなくなる。
できることはやり尽くした,そう思えるほどに自分なりの努力を続けていけば完全燃焼できるはずだ。

では努力を続けられる人とそうでない人の違いは何であろうか?

人それぞれいくつか趣味があると思うが,辛いと思うまで突き詰めることは中々ないだろう。

野球を愛し,野球に愛されたイチローですらこんなことを述べたことがある。

そりゃ僕だって勉強や野球の練習は嫌いですよ。
誰だってそうじゃないですか。
辛いし大抵はつまらないことの繰り返し。
でも僕は子供のころから目標を持って努力するのが好きなんです。
だってその努力が結果として出るのは嬉しいじゃないですか。

どんな分野でも登りつめていこうとすれば必ず障壁が現れる。
それを乗り越える喜びが努力を続けるモチベーションになるのだ。


子供達へのメッセージ (5:58–)

(回答)
野球だけでなくてもいいんですよね,始めるものは。自分が熱中できるもの,夢中になれるものを見つけることができれば,それに向かってエネルギーを注げる。そういうものを早く見つけて欲しいなと思います。それが見つかれば,自分の前に立ちはだかる壁に向かっていけることができる。それが見つけられないと壁が出てきたときに諦めてしまう。いろんなことにトライして,自分に向くか向かないかよりも,自分の好きなものを見つけて欲しいなと思います。

イチローは3歳の時点で既に野球の練習を始めている。
そして卒業文集の書き出しは「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです」だ。
我々が鼻水垂らして走り回っていた年齢で,既に野球に本気で取り組んでいたのだ。
最初のきっかけは自分で見つけたのではなく親から与えられたものだが,いつからかプロ野球選手を目指すほどになっていた。

幼少期からその道のプロフェッショナルになりたいと思うほどに傾倒できる何かに巡り会える人はほんの一握りだろう。
しかし,中学,高校,大学と年齢を重ねていけば自分が好きなものの1つや2つは見つかるのではないだろうか。
好き中の嫌いにもストイックに打ち込める姿勢を身に付けることができれば,その道で他の追従を許さないポジションを確立できるはずだ。
好きこそものの上手なれ。

私は凝り性なのでイチローの意見に同意だ。
例えば自転車ツーリング。
自転車に興味を持ったのは,父にお下がりのクロスバイクをもらったからだ。
乗っているうちに,「もっと走りたい。色々なところに行ってみたい。」と思うようになり,いつしか目標は47都道府県制覇になった。
多発するパンク,機材トラブル,激しいアップダウン,悪天候の中のツーリング,と辛いことは多々あったが,苦楽を共にした仲間や日本各地の記憶は何事にも代えられない財産を得た。


lpasteur.hatenablog.com


今では研究に力を注いでいる。
高等教育を受ける機会を与えてもらい,未知なる現象を解き明かすことに面白さを感じるようになった。
平日に8時間以内に帰宅することはほとんどなく,土曜はゼミ (+月1でグループディスカッション) があり,週のうち50–60時間は研究室で過ごしている。
日曜・祝日も研究室に寄ることがある。
それにも関わらず支払われているのは月20万円だ。同じ時間をバイトに費やしたほうがよっぽど稼げる。
正直,辛いと思うことは幾度となくあるが,今立ち止まってしまったらこれまで積み上げてきたものが崩れ落ちてしまうのでやめようとは思わない。



高ければ高い壁の方が登ったとき気持ちいいだろう (Mr. Children / 終わりなき旅)。


イチロー選手の生き様でファンの方々に伝えられたことや伝わっていたら嬉しいなと思うこと (25: 48–)

(回答)
生き様というのは僕にはよくわからないんですけど,生き方という風に考えれば,先ほどもお話ししましたけれども,人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら,自分の限界を見ながらちょっと超えていく,ということを繰り返していく。そうするといつの間にかこんな自分になっているんだっていう状態になって。だから少しずつの積み重ねが,それでしか自分を超えていけないっていう風に思うんですよね。一気に,一気に高みに行こうとすると,今の自分の状態とギャップがありすぎて,それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むというか,進むだけではないですね。後退もしながら,あるときは後退しかしない時期もあると思うので。自分がやると決めたことを信じてやっていく。でも,それが正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど,でもそうやって遠回りすることでしか本当の自分に出会えないというか,そんな気がしているので。

前述したが,自分が納得できるように頑張ることを続けていくことの重要性を説いている。
超えられそうな目標を設定して,それが達成できたらもう少し難しい目標を達成して,そんなことを繰り返していくうちに,いつの日にか思い描いていた "夢" はあと少しで手が届く "目標" になるのだろう。

私は身近な人を憧れの人物像として目指すようにしている。あくまで身近な人だ。
研究室に入ってからは学部4年から修士1年の2年間指導してくださった4つ上の博士の先輩のようになることを目標としている。
教授やポスドクの方々も私の指導に関わってくださったが,ロールモデルとして現在の自分と差がありすぎて何をすればいいのかのイメージがわかない。

その尊敬する先輩は研究を進める上で大事な技術を残し,論文を3つ出して,どんなに自分のことで手一杯でも後輩の面倒を見て,学部・修士生とポスドク・教授の間に立つ緩衝材として働いて。
今年の2月研究室に配属されてから4年が経ち,今では立場が逆になった。
先日研究室で開いた送別会で卒業する修士2年から感謝の思いを伝えられ,少しはなりたい人物像に近づいたのかなと実感した。
実験技術や背景知識,文章の書き方は後輩に教えているが,研究に取り組む姿勢や面白さを伝えたり,自分が卒業した後も研究室の武器となるような財産を残せたりしているかと聞かれたら答えはノーだ。
卒業まで残り2年間。今の研究室でやれることはやりきったと思えるように,信念を抱きながら過ごしていきたい。


プロ野球選手になるという子供の頃からの夢を叶えて,これだけ成功なさって,何を得たと思っているか (1:05:24)

(回答)
成功かどうかってよくわからないですよね。じゃあどこから成功でそうじゃないのかっていうのは,まったく僕には判断できない。だから成功という言葉は僕は嫌いなんですけど。メジャーリーグに挑戦する,どの世界でも挑戦する,ということは大変な勇気だと思うんですけど。でも成功,ここではあえて成功と表現しますけど,成功すると思うからやってみたい,それができないと思うから行かないという判断基準では,後悔を生むだろうなと思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて,やりたいと思えば挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんですよね。じゃあ,自分なりの成功を勝ち取ったところで達成感があるのかというと,それは僕には疑問なので。基本的には,やりたいと思ったことをやっていきたいですよね。

(得たものは) まぁこんなものかなぁ,という感覚ですかね。200本はもっと打ちたかったし,できると思ったし、1年目にチームは116勝して,その次の2年間も93勝して,勝つのってそんなに難しいことじゃないなってその3年は思ってたんですけど,大変なことです。勝利するというのは。この感覚を得たことは大きいかもしれないですね。

"できるできないではない やるかやらないかだ" ということではないだろうか。
新しいことにチャレンジすれば,辛い目にあったり逃げ出したくなったりすることがあるだろう。
イチローだってMLBに移籍したばかりの時期は現地ファンから認めてもらえずに苦しんだという。

外部の人間にイチローが "成功者" のように映るのは当然だ。あっぱれなプロ野球人生を歩んできたと思う。
自分の信じた道を少し進みながら,時には後退もして,それでも自分なりに頑張ることを重ねてきたから,数々の歴史的記録を打ち立てたのだ。
やりたいと思って決めたことを全うすれば自然と結果はついてくるだろうし,もしそうでなかったとしても後悔はしないはず。

以前,「努力は報われるか?」という質問に対して,イチロー

報われるとは限らないですね。もっといえば,努力と感じている状態は,まずいでしょうね。
その先に行けば,きっと人には努力に見える,でも,本人にとってはそうじゃない…という状態が作れる。
そうすれば勝手に報われることがある。

と答えた。

ここで述べているまずい状態というのは "努力している自分に酔っている" ことだと私は解釈した。
現状に甘んじることなく次の目標を設定し,まだまだ行けるぞ!と自分を叱咤激励する状態だったら報われるかもしれない,というメッセージだろう。

人には得手不得手があるので,努力の方向性が間違っていれば花咲くことはない。
しかし報われなかったからといって,そこに費やした労力は本当の自分に出会うために必要なまわり道であり決して無駄ではない。



悩んだ末に出た答えなら,15点だとしても正しいのだ (Mr. Children / CENTER OF UNIVERSE)。


まとめ

引退会見を全部観て,これまでの発言を調べてみて,イチローは行動と考え方がブレていないと感じた。

  • 比較対象は他人ではなくあくまで自分自身
  • 好きだからこそ,熱中できるからこそ,辛いことがあっても努力を続けられる
  • 小さな目標達成の積み重ねが夢の実現へ繋がる
  • 挑戦した道を納得できるまで進めば後悔はしない

私もDoctor of Philosophyの取得を目指す者として,研究に対して自分ならではの哲学を見つけ,後悔のない学生生活としたい。





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